11月3日(水)

とうとう最終日だ。 朝8:30位に起きて、ぶらぶら散歩しながら朝ごはんを食べようという話になったのだが、 メニューは夫の熱望で「サンフランシスコのチャイナタウンの朝粥」になった。 何故ここで突然サンフランシスコなのかというと、 夫は、昨年のサンフランシスコで「チャイナタウンの朝粥」を食べ損なった経験があるからだ。 サンフランシスコで、一緒に行った友人とその家族が朝粥を食べに行ったという話を聞いた時、 夫は、とても羨ましそうな、そしてとても残念そうな複雑な(?)表情を浮かべていた。 もっぱら物にこだわるタイプではないのだが、唯一食べ物だけには人一倍執着してしまうらしい。 妻は夫の提案を快諾した。ここで反対したら、きっと夫婦の危機になっていただろう。 幸いチャイナタウンはホテルから近かったのでチェックアウト前に行ってしまおうということになり、 ホテルを9:00頃出発。道は単純だった。 ホテルの前の道を南下するだけだった。しばらく歩いていくと漢字の看板がポツポツ見え始めた。 初めは雑貨屋や銀行などだったが、さらに奥へ進むとレストランが出てきた。 朝早すぎたのか(?)開いていない店も多かったので、殆ど選択の余地もなく、喫茶店のような 中華料理屋のような、よくわからん店に、メニューを確かめてから入った。中はまるでチープな喫茶店。 椅子のビニールカバーの破れをガムテープで留めてるような店だった。 肝心のお粥は5種類位あり、とりあえずウエィターさんに質問し、結局二人とも同じ牛肉そぼろ粥みたいなのにした。 夫は純粋にそれが食べたかったみたいだが、妻はそれが唯一無難そうだったので決めた。 おかゆが出てくる前に夫は何を思ったのか「箸はありますか?」と聞き、ウエイターさんを困惑させた。 感じのいいウエイターさんだったのだが、この時はさすがにけげんそうな顔をし、腑に落ちない顔をして箸を2膳もって きてくれた。実際、出てきたおかゆを食べるのに箸の登場する場面はなかった。 何故夫はあそこで箸を頼んだのだろう? 謎である。 夫の頭の中でおかゆ=中華=箸、なのだろうか? 出てきたおかゆは期待に沿う味と量だったが、 つけ合わせの揚げパンのボリューム&油っこさにはまいった。 夫は奮闘してやっと半分食べたが、妻は1口でギブアップ。

おかゆを食べ終わり帰路につく。途中、7-11に立ち寄った。 外から写真をとり、中もジロジロ見たが結局何も買わなかった。 ここで面白い雑誌を何冊も見た。日本人女性のヌード雑誌だ。 1冊くらいだった別に気にならないが、何冊もある。 チャイナタウンにある、中国人が経営しているらしい7-11だったから、 おそらく客も中国人だろう。 そんな店で、白人でもなく中国人でもなく日本人女性のヌード雑誌が 半分くらいを占めているなんて。不思議だなぁ。
ホテルに戻り、荷造りをしてチェックアウト。 フライトの時間は21:30位で空港には19:30に行けば間に合うので、 荷物と車をホテルに預かってもらい、街へ出ることにした。 まずダーリングハーバーの辺りを散策することになったのだが、 その前にホテルに隣接している三越にケンドーンを見にいった。 商品の種類は当然、前日の専門店に及ばない・・が、安売りがあったのだ! Tシャツ、ポロシャツが数種類かなり安くなっていた。 ちょっとショックだったが、 落ち着いて見ると柄は前日買ったものの方が好みなので自分なりに納得した。 ここでは何も買わなかった。 この三越自体かなりこじんまりとしていて、隣の日航へ来た日本人客をあてこんでいるのだろう。
日航ダーリングハーバー付近にある、港が一望できるピアモント橋を渡って対岸へいき、 ハーバーサイドショッピングセンターに入った。 オーストラリアジオグラフィーという店で雑貨を見てまわり(この店は結構面白かった)、 少しぶらぶらした後喫茶店にはいった。 もう世間は昼食の時間だったのだが、私たちはさっき食べたばっかりだったので、飲み物だけにした。 周りの人が食事を食べている中、コーヒーだけの私たちは、旅日記までつけはじめ、そうとうねばった。 お蔭で旅日記はこの時かなり進んだ。
1時間以上経ったのでさすがに店をでて、ショッピングセンターをひとまわりした後、 当初の計画通りモノレールに乗った。モノレールは市内見物がてら1周半した。 途中インド人のグループが私たちのいた車両(コンパートメント?)に乗り込んできて、 写真をとりまくっていて最後には撮ってくださいと頼まれたりした。
私たちは目的駅シティーセンターで降り、空腹になってきたので、食事をすることにした。 連日洋物ばかりで日本食が食べたくなった妻は、和食レストランを主張し、 夫も付き合う素振りを一応見せたのか、とりあえず、店の前まで行ってくれた。 もう一押しで日本食が食べられそうだったのだが、 夫は店の前に出ていたメニューに対して不満げだ。 「ここまで来て日本食を食べる事ない」と念仏のように言ってきたので、 やはり、 別のものを探すことにした。 うろうろしているうちに、同じビルにフードコートがあるのを見つけたので行ってみた。 行くと、とても魅力的な店(美味しそうで、値段も安い)がいっぱいあり、 ここにしようということになった。 夫はパスタの店で購入、妻は中華の店。 それ意外にもタイ料理、メキシカンなどバラエティー豊かだった。
妻がチャーハンのチンジャオロースがけのようなものを持ってテーブルで待っていたら、 夫がパスタ4種類と水を持ってあらわれた。味は両方とも美味しかった! 日本にもこんな所がこの値段であればいいのになぁと思った。
お腹もいっぱいになり、DFSへ向かった。 空港内の免税店はパッとしないので、ここがブランド品を買えるラストチャンスと思って臨んだ。 気合の入っている妻を尻目に夫はなんだか面白くなさそう。 入って、順番にフロアを見ていったのだけど、どうも見るペースが合わない。 興味のない夫にとって、じっくり見たいものはないらしい。 結局椅子に座って待っててもらうことにして、一人で自由に気兼ねなく見る事ができた。 夫有り難う。 そこで買ったものは、母にフェンディーのバック、自分用にカジュアルなネックレスだ。 国によってDFS商品の受け取り方法は違うのだが、 ここシドニーでは、購入した物は当日DFSのカウンターでまとめて渡される仕組みだった。 そして、袋についている免税の紙を空港で渡してしまえば手続きは終了、なのだが・・・ 実は、妻はその紙を商品と一緒にスーツケースにしまい込んでしまったので、税関で出すことが できなかった。なので、今だに何時か罰金が取られるんじゃないかと不安である。 その紙には、恐ろしいことに「守らなかった場合は罰金最高5万ドル」(だったかなぁ?) と書いてあった。 DFSでの買い物も無事終わり、今度は”最後”のケンドーン。 夫とは当然別行動。 私がケンドーンを見ている間、夫は「秋葉原」とその向いの土産物屋あたりをぶらつき、 弟へのお土産、いかにもオーストラリアっぽい動物の絵の書いてあるネクタイ (フェラガモではない)を買っていた。 妻は前日かなり粘って商品を見ていたので、あとは決断のみだった。 前日の日本人の店員さんのいう通り、麻でできたかわいい布巾を8枚買った。 いろいろな柄があったが、2種類にしぼった。あとチョコレート2箱とマカデミアナッツ。 妻的にはそそくさと買い物を済まし、30分後、「2件めの大きい方の秋葉原」で無事合流できた。 いざワインセンターへ、という時、ここでも何故かトイレに行きたくなり、 向いにあった今度はリージェントホテルのトイレを拝借することに。 リージェントも高級ホテルなのでアーケードを見たい気もしたが、 2階に上がる階段が中央に聳え立っていて、その時の格好でその立派な階段を昇る勇気はなかった。 ワインセンターへ行くと、店員が「何か御探しですか?」と聞いてきた。 日本人はいかにも買いそうに見えるのだろうか。 夫と昨日のスカボローを探しているとほどなく見つける事ができた。 クローザーはさんざん迷ったけど日本では手にはいらないかもしれないので買う事にして、ペタルマの シャルドネとクナワラも有名(カメラマンの本においては)なので買う事にした。 あとはスカボローを何本買うか? どんなに考えてみても2本が限界だった。 もうこれ以上ワインは持てない。スーツケースに夫が6本、妻が3本。 キャリアに括り付けてある箱に12本、さらにその上に3本入の箱を括り付けて なんとか日本にたどり着くのである。 結局、スカボロー2本、ペタルマのシャルドネ、クナワラ、クローザーを買った。 夫が、抜け目なく、日本への配送費を確認していたが、 それによると、12本で航空便で310オーストラリアドル(2万4千円位)、船便139ドル(1万1千円位)であった。 ワインセンターを出て、市内を歩いて回ろうという話になったのだが、 その時、妻が買い忘れたものがあることに気がついた。またまたケンドーンなのであった。 マウスパッドを買いに戻る事になった。 さすがに昨日長時間ねばって買って、今日また買い足して、もう恥ずかしくて行きたくなかった。 たしか美術館の方にもあったので、そこまで行こうかとも思ったが、 ここは旅の恥じは掻き捨てということで、何度も行ったケンドーンの専門店の方へ行くことにした。 夫許してくれてありがとう。 マウスパッドを買うとき、やはり店員さんは笑っていた。 「HELLO AGAIN」という歌があったが、外人からその言葉を聞くのは始めてだった。
ケンドーンを出て、夫が提案した今まで通っていないシドニー大回りの道を歩いた。 途中でおもしろい人のオブジェのある建物があって写真に写したりしていたのだが、 通り過ぎるころ、そこが犯罪博物館だということがわかった。 マックオーリーストリートに出てそこを右折すると 道の向いの左側は歴史ある建物ばかりが並んでいた。 夫は気に入ったらしく、一生懸命写真を撮っていた。

しばらく歩いたあと、今度は街中へ入る為に右折。 デビットジョーンズという立派なデパートがあったので入ったところ、中は絢爛豪華だった。 妻はそろそろお腹がすいてきたので、何か食べようと提案し、 またフードコートを探すことになった。 なかなか見つけられずやっと見つけたと思ったら、17:00になって閉まってしまった。 フードコートは地下にあったのだが、 地下は迷路(それぞれの建物の地下がつながっているのだ)のようで、外に出るのに難儀した。 やっと出られたと思ったら、目の前は見たことのない風景、そして私たちの出てきた建物も 見たことのない大きな長い建物だった。 だんだん空腹と疲れを感じてきたので、ホテルに戻って出発までホテル内の店でお茶や軽食 でもして待とうということになった。 ホテルに到着して、ロビーにある店を見たのだが、 喫茶店の方は混んでいて、奥の方は食事(ディナー)のみとなっていた。 ホテルはあきらめてまた外にでた。橋のあたりをうろうろしていたら、うってつけの場所があった。 そこは、橋をはさんでホテルの側にあるダーリングハーバーに面したレストラン街であった。 妻が日本食に飢えていたので、そこの和食「平」という店に入った。 オープンスペースで気持ちのよい店だった。 となりの席ではオーストラリア人が箸を使って器用に和食を食べていた。 てんぷら定食みたいなものを食べていたが、盛り付けが妙に洋風だったのが面白かった。 私はうどん、夫カフェオレを飲んだ。味はなかなか良かった。

18:30になり、そろそろ時間が来たので、ホテルに戻り、車と荷物を返してもらい、 飛行場へ向かった。飛行場に着き、車を返してチェックインをしたのだが、 その際の夫の英語力がまたまたすばらしかった。 カウンターの女性に割れ物(ワイン)が入っていることを説明したので、 その女性がフラガイルシールを貼ってくれ、 私たちの荷物(ワイン)が多いのを見て 飛行機の一番後ろのすいている席にしてくれたのだ。 本当にこれには助かった。 手荷物検査・ボディチェックの所で、夫が何やら係りのおじさんと話しているかと思っていたら、 おじさんがワインの箱をビニール袋に入れてくれた。 細かい心遣いに夫は感激していた。 どうやら、夫はいままで役人にはいい目に合っていなかったらしい。 ボーディングタイムは21:45かなり余裕があった。
うろうろ免税店を見た後、カフェテリアで残りの小銭を振り絞って、 乾杯用のビールを夫が買いにいった。 二人の小銭を合わせても6ドルちょっとだったのに、 1本4ドルくらいのビールを夫が2本買ってきた。 2本も買えると思っていなかったので、妻はとても嬉しかった。 どうやら、店のお兄さんがおまけしてくれたらしい。 そこで、乾杯し、しばらく休んだあとボーディングした。
飛行機に乗り込むと、一番後ろの席で、しかも人がまばら。日本人の団体客 は前の方でひしめき合っているというのに、私たちは余裕だった。これで少しは眠れる!と思い ホッとした。飛行機自体は行きと同じJALとカンタスの混載だと思うのだけど、機内食は行きの方が 良かった。ただ、行きにはなかったワインのおかわりがまわってきて、半ば諦めていた私たちは飛び 起きるようにして、おかわりをめぐんでもらった。

・・・夜食を食べてしばらくして私たちは眠りについた。わりとよく眠れた。
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